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ディアゴスティーニの「週刊 昭和タイムズ」。
2007年9月25日、創刊。 創刊号は「昭和39年」。 って、私の生まれた年ですやん! しかも創刊号は特別定価で安かったんです。通常560円のところ190円。 思わず買ってしまいました。 第2号は「昭和45年」。 万博のあった年です。 あー、懐かしいなぁ。親に連れられて2回行きましたよ。 これもついつい買ってしまいました。 第3号は「昭和34年」。 うーむ、自分の生まれてない頃のものは、あまり関心が持てないなぁ。 だからこれは買いませんでした。 っていうか、これ全部買っていったら、どえらい出費ですやん!(T^T) ……途中はしょって、第19号は「昭和20年」。 これなんかすごく大事な節目の年ですし、本来なら買うべきでしょう。 でも、やめときました。 気のせいかもしれませんが、このシリーズ、全体的に何だか左寄りな傾向が感じられるのです。 精神衛生上よくないし、だから戦前はもう全部、買うのはやめとこうかなと。 参考までに、私が買った号はこれまでのところ、以下のとおりです。 ◆第1号◆昭和39年/1964年(私の生年) ◆第2号◆昭和45年/1970年 ◆第4号◆昭和47年/1972年 ◆第8号◆昭和43年/1968年(夫の生年) ◆第10号◆昭和49年/1974年 ◆第12号◆昭和55年/1980年 ◆第13号◆昭和46年/1971年 ◆第15号◆昭和53年/1978年 ◆第17号◆昭和57年/1982年 ※旧お気楽くっくりはこちらです。 http://kukkuri.jpn.org/boyaki_blog/ 一発でつながったあなたは強運の持ち主です!?(^_^; ________________________________________________ ★このブログが面白かったらクリックして下さい→ ★姉ブログ「ぼやきくっくり」へもぜひどうぞ。 |
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昭和って....
デアゴスティーニ、やな会社ですよね、ツボをくすぐるのがうますぎ!!しかも2号からはべらぼうなお値段で、シリーズを全部揃えたらおっしゃる通り大変な出費と場所ふさぎ。(笑)
くっくりさんの生まれた年の最大イベントはもちろん東京オリンピックですね。僕は小学校六年生、夢中で鉄棒にぶら下がってました。昭和45年は高校2年生、万博と京都、奈良が修学旅行でした。今度本屋に行ったら僕の生まれ年、昭和28年を買って見ます。ええ、大相撲協会理事長北の湖親方と同年です。(笑) |
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すらりさん、コメントありがとうございます。
>デアゴスティーニ、やな会社ですよね、ツボをくすぐるのがうますぎ!! おっしゃるとおりです!これまで創刊号だけ買って、あとは買わないってパターンが、私、これまでに何度かありました(ツボには入るが流されない私は、実はえらいのかも!?(^_^;)。 しかも、創刊号からしばらくは(第3号ぐらいまでは?)本屋さんも目立つところに置いてくれてあるんですが、そのうち目立たないところに移動させられてしまって、探すのも一苦労です(T^T) 昭和28年ですかーー。でもやっぱり自分が生まれてない年は、いまいちイメージが湧きにくいです(^_^;。北の湖親方の現役時代、うっすらですが覚えてます。憎たらしいほど強かったですよね。 万博が修学旅行ってのはいいですね。よその学校もそういうところが多かったんでしょうか。何せ我が国挙げての一大イベントでしたもんね。 |
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偶然にも
近鉄百貨店(阿部野店)で、「テレビの青春!昭和30年代番組展」ってのをやってたので、今日行ってきました。
つーか、たまたま買い物に行ったらやってたので、ついでに寄ってきたというのが正しいんですが(^_^; http://www.d-kintetsu.co.jp/store/abeno/promo/30th/index.html すっごく良かったです。当時のオモチャとかも売られてました。大阪近辺にお住まいの方はよろしかったら。3月12日(水)までやってます。 |
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ひえー昭和のシリーズなのに左寄りなんですか。ヤだなあ〜。
私も昭和30年代生まれですよ。印象に残っているのは何といっても万博のあった1970年とミュンヘンオリンピックのあった1972年です(男子バレーとイスラエル選手の射殺事件)。あと浅間山荘事件とかよど号ハイジャックとか(これでハイジャックという言葉は初めて知った)三島由紀夫自決とか色々ありましたね戦後の昭和も。何か振り返ると本当に激動の時代だったなあ。 年寄りと言われるかもしれませんが私は携帯とコンピューターゲームが出てきてから人間らしい触れ合いが一気になくなって殺伐としてきた気がします。歳を取ってきたのかなあ。色々気が滅入ることもありますけど日本をあきらめないで行きたいです。 |
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おれんじさん、コメントありがとうございます。
1970年頃も本当にいろいろなことがありましたよね。おれんじさんは昭和30年代生まれということですが、それらの大きな出来事の記憶はしっかり残ってらっしゃるんですか?だったらうらやましいです。私はもう物心はついてたと思うんですが、親があまりテレビを見せてくれなかったせいか、浅間山荘事件にしろ何にしろ、当時の記憶って全くないんです(T^T)。同い年の人で「浅間山荘、親といっしょに見てた」とかいう人もわりといるので、何かすごく損した気分です。 携帯は確かに問題多いですね。今日も電車に乗ってたら、恋人同士らしき2人が会話もせずにそれぞれ携帯触ってるのを見て、何だかなぁと思ったところです。でも歴史上、変化があっても何とかついていって、上手くやってきたっていうのが日本人の良いところでもあると思うので、私も前向きに行きたいです。 |
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未来志向
ちょうど一番多感な頃だったので、70年代のもろもろの記憶は相当鮮明です。浅間山荘事件、東大安田講堂の攻防戦、万博、そして三島由紀夫自決事件、仕事をするようになって、市ヶ谷の自衛隊隣の大日本印刷に出入りするようになった時は格別の感がありました。
自分の一番小さい時の写真はほぼ一歳くらいですので昭和29年、本当に当時の日本は貧しかったですね、家は木造、路地は土の道、おふくろは着物、煮炊きを七輪でやっている写真が残っています。僕が三歳くらいの時に、我が家に商売上自家用車が登場、町内で自家用車は初めてということで黒山の見物人が来たことを覚えています。それが小学生くらいの写真だとテレビがあって、食事時とはいえとにかく家族中の笑顔が輝いていました。やっぱり景気は良かったようですね、所得倍増計画時代ですから。「三丁目の夕日」のDVDを親父に見せたら、案の定鈴木オートの社長にシンパシーを感じたようです。ウチにもああいう住み込みで働いていた人も何人かいました。 こないだ読んだ雑誌に載っていたブルースの大御所B.B Kingのお言葉「もっと良い世の中を作れるのは50、60代の人たち、彼らは良い時代とそのスピリットを体験しているからね」というのがありました。ますます責任重大です。 |
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すらりさん、コメントありがとうございます。
すると、すらりさんは「三丁目の夕日」で言えば堤真一さんとこのお坊ちゃん、ちょうどあのぐらいの年代なんですかね。戦後日本が再び立ち上がって経済的発展をしていく様をまさにリアルでご覧になっていたのですね。日本はいろんな意味で今、転換期にありますから、すらりさん世代には期待大です!……40代はまだまだヒヨッ子ですわ(^^ゞ |
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いやあ、懐かしいお話が多くてしんみりしますね。はい、70年代の出来事はかなり鮮明に覚えてます。前にお話したかもしれませんが、父が三菱重工の隣のビルで働いていたので重工爆破事件ではあわや命を落とす所でした(偶然外出していたので助かりました)。
そんな訳でいわゆる団塊世代の過激な学生運動とか反体制的な活動には今でも嫌悪感を感じています。 くっくりさんのご両親があまりテレビをお見せにならなかったのは幸いだったかもしれません。浅間山荘事件は確か24時間生放送してたと思いますから。私なぞテレビのある部屋の隣が自分の部屋だったもんで夜も寝られずうるさかったです(汗)。 あの事件では、食べ物を差し入れに行った一般の方(これもうろ覚えですが確か犯人の親族の方ではなかったと思います)が帰り際に後ろから頭を撃たれて亡くなられるのを生放送で見てしまい、幼心に強烈なショックを受けました。だからあまり見なくて良かったと思います。 携帯はもうしょうがないんでしょうかね(汗)。フランスのカフェとかに座っていると誰もメールなどやっている人はいなくて皆楽しげに話しているのでホッとします。イギリスではメールもかなりやっているようですね。 長々失礼しました。 |
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おれんじさん、コメントありがとうございます。
三菱重工の爆破事件、ありましたね。昔のニュース映像とかで何度か見た程度で生の記憶はないんですが、本当に恐ろしい事件でしたよね。お父様、間一髪だったんですね。ご無事で何よりでした。 そう、浅間山荘事件はずっと中継していたんですよね。うわー、そういう悲惨なシーンを目撃されてしまったのですか。それは子供にはキツイ体験ですね。うん、私は見なくて良かったかも……。そういや、後年、うちの母が「浅間山荘事件の中継、テレビでずっと見てたわー」ってちょっと自慢げ?に言ってましたが、母も見てしまったかもしれませんね。 当時は居間にしかテレビがなくて、しかも私は小学6年まで8時に寝ることを義務づけられてたので、子供の頃はほとんどアニメやせいぜい「全員集合!」ぐらいしか見た記憶ないんですよ(土曜日は「全員集合!」があったので特例で9時まで起きてることが許されました(^^ゞ)。ラッキーだったのかアンラッキーだったのか……(^_^; |
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こんにちは。
なんか盛り上がってますね。こういう話題だと盛り上がるんでしょうね。 私は昭和37年生まれです。子供の頃はそんなに貧しくはなかったけど豊かでもない、そういう時代でしたね。真冬でも皆半ズボンで元気よかったです。 小学校低学年の頃はメンコやビー球、ケンパ、缶けりなんかしてたなあ。高学年になると野球一点張りでした。 学校の校舎は一部木造も残っていたり、冬なんかは石炭ストーブでした。日直が石炭小屋に行ってバケツに石炭をてんこもりにして教室に持ち帰り、新聞紙を丸めて火を点けるんです。(大阪市内ですけど)今の時代考えられませんよね。 近所付き合いも濃く、皆が助け合って生活する習慣もまだ残っていて、子供時代を送るには楽しくて幸せな時代だったと思います。 話は変わって、名古屋国際女子マラソン観てました。Qちゃんを応援してたんですけど、残念な結果に終わってしまいました。調整に失敗したんでしょうか。走る前の映像を観ても素人目にもやつれた感じがしていて不安が的中してしまいました。オリンピックでQちゃんと野口みずきさんとの対決を観たかったなあ〜。 |
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トムソニストさん、コメントありがとうございます。
おお、同世代ですね。そうそう、私が子供の頃も男子はそんなふうでしたよ。 小学校には木造の校舎がやはり残ってました。2年生用の校舎でした。和歌山で暖かかったせいか、教室にストーブはなかったです。 近所づきあいも今では考えられないぐらい密でしたよね。「放送局」ってあだ名のおばちゃんがいて、「○○さん家のの上の子は××高校を受験するらしい」とか、情報がすぐに伝わってきて、それはそれでうちの親なんかは困ってましたけど(^_^; 今なんて隣に誰が住んでるかもわかりませんからね。私が今のマンションに越して来た時、同じ階と上下の階のみ粗品を持って挨拶回りしたんですが、なぜか両隣の人だけ、ついに出てきてくれませんでした。左隣の人は引っ越して現在空室ですが、右隣の人はいます。未だに顔をよく知りません。表札出てないので名前もわかりません。 高橋尚子さんは私も応援していたので、残念でした。五輪では土佐礼子さんに期待しています。あのガッツ、見習いたいです。 |
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>未だに顔をよく知りません。表札出てないので名前もわかりません。
怖いですね、それって。出てこないって何なんでしょうね。 ドアを開けて外に出る時ドキドキしますね。(笑) 笑い事じゃないですね。すんません。 |
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トムソニストさん、レスありがとうございます。
隣の人、ベランダではよく鉢合わせるのですが(洗濯物干したりする時に)、もちろん仕切があって互いの姿は見えないので、結局どういう人が住んでらっしゃるのかわからないんですよ。何人住んでるのかも謎です。わかってるのは40代ぐらいの女性が一人いること。この10年の間に2、3度ドアの前でバッタリ会いました。が、顔はよくわかりません。こっちが挨拶しても無視、というか、顔を上げてくれもしないので(^_^;。いや、ほんと笑い事じゃないですよね(T^T) |
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うーん、それってその方がちょっと暗い人なのかもしれないですね。いい気分はしませんけど(放送局のおばさんは行き過ぎだけど殺伐としちゃいますよね(汗))、あまり気にしない方が良いかも。くっくりさんはちゃんとご挨拶されてるからそれでよいのかもしれません。
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おれんじさん、お気遣いいただきありがとうございます(^^ゞ
あまり気にはしないようにしてるんですが、時々やっぱり気になりますね。半分は好奇心ですけども(^_^;。 とはいえ、私より前から住んでいる人ですし、もし問題のある人だったらマンション内でもそれなりに噂になるでしょうから(管理人さんはじめ他の住民の方とは、エレベーターや自転車置き場などで会ったりした時によく会話をしますので)、おれんじさんの言われるように、単なるちょっと暗めなだけの人なんだろうと思います。 |
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