
震災の詩

【募金受付まとめ】東日本大震災 被災地に手助けを!
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産経新聞11/08/28付「朝の詩(うた)」より
揺れる
京都府大山崎町 沖中潮広
あの日から足元の
揺れを感じるたびに
遠くの地を案じる
こちらが軽ければ尚更
そちらは大丈夫ですか
そう問いかける
空は異国と
つながっていて
大地は故郷と
つながっている
だから私達はお互いに
大丈夫ですか?と
声なき声で問いかける
(選者 新川和江)
阪神淡路大震災以降、地震を感じるたびに(実際のところ大阪は地震はさほど多くはないのですが)、私はこの方と似たようなことを思うようになりました。
「こっちは震度小さかったけど、よそは大丈夫だったかな?」と。
1995年当時、私は大阪市の中心部に住んでいました。
1月17日のあの日、地震発生からの数時間、各地の震度を伝えるテレビの画面(地図)では、神戸の震度が空白になっていました。被害があまりにも甚大で、情報が伝わらなかったからです。
同様に、地震被害を伝えるテレビの映像も、大阪市内の、例えば梅田の高層ビル上のクレーンが傾いている様子とか、自動車販売会社のショールームのガラスが割れている様子といった、軽微な被害しか映し出すことができていませんでした。
やがて時間を追うにつれ、神戸方面の衝撃的な映像が飛び込んできました。
高速道路やビルは横倒しになってるわ、駅は駅舎ごと潰れてるわ、火災で街が燃え広がってるわ……、何じゃこりゃ!!
(ちなみに私の住んでいた所もけっこうな揺れで棚が倒れました。震度4と発表されましたが、それを聞いた時とても信じられませんでした。少なくともそれまでの人生で震度4を2回体験済みの私はそう感じました)
あの日以来、私は、地震を感じるたび、「実は震源は遠くかもしれない、ここでは小さな揺れだったけど、震源近くの震度は5とか6とかで被害が出てるかも……」などとネガティブな想像をしてしまいます。
もうすぐ3・11から半年です。
私は阪神淡路大震災の年の夏、つまり地震から約半年後の神戸に入ったのですが、街のあちこちで重機が粉塵を激しく撒き散らしながら動き回り(街を行く多くの人がマスク着用だった)、復興は急ピッチで進んでいました。
ところが今回はどうかというと、瓦礫処理は未だ進まず、原発事故の収束も見通しが立っていません。
もちろん今回の震災は阪神淡路の時とは規模も全く違いますし、何より津波・原発事故というあの時にはなかった悲惨な事態に見舞われたわけで、同列に語ることはできません。
それでも、民主党政権でなかったらもうちょっと迅速にやれたのではないか、少なくとも「政治災害」には見舞われずにすんだに違いない、という思いは拭えません。
私は誰が総理になろうと政権党が民主党である限り支持はしませんが(理由はオモテのブログでもよく書いているように、組織として体を成していないことや、外国勢力の浸透を簡単に許してしまう体質だからです)、被災地の方々の辛苦を思えば、野田新政権には少しでも復旧復興に向けた的確な対策を実践していただけるよう願うしかありません。
PS)台風12号は、自転車並みに遅い速度も災いし、各地に大きな被害をもたらしました。
現在までのところ、紀伊半島を中心に数十人単位の死者・行方不明者が出ているようです。
特に和歌山県は私の第二の故郷(両親がともに和歌山県出身)なので、大変心を痛めています。
被害に遭われた方には心からお見舞い申し上げます。
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