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プロ野球の開幕について

東日本大震災
【募金受付まとめ】東北地方太平洋沖地震 被災地に手助けを!

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 セ・リーグが3月29日としていた公式戦開幕を再延期して、4月12日にパ・リーグと同時開幕し、ナイター自粛などもパと足並みをそろえることを決めました。

 世論の反発、選手会やファンの要望、国の要請、いろいろあって、ようやく折れた形です。

 てか、巨人!あんたら自分さえ良ければいいのか!(昔からそういう体質ですが)……と、私はもうずっとイライラしてました。

野球ファンと選手会を大混乱させた巨人首脳の11日間(ZAKZAK3/25)


 話はやや逸れますが、産経新聞3月25日付「朝の詩(うた)」より。

人間資格
   東京都品川区 桂島由美子(37)

  暗い顔して、
  落ち込んでた、
  悩んでた、本当は。
  だけどね、
  「神様は解決できない悩みを与えない」
  ということ。
  だから、悩んでは、
  ハードルを越えて、
  又、悩んでは、
  ハードルを越えての
  くり返し。
  神様に試されてる。

     (選者 新川和江)

 この詩は震災について語ったものではないのかもしれませんが、でも通ずる部分もありますよね。

 ただ、今回の震災はあまりにも被害が大きすぎますし、被災者の方々も、「神様は解決できない悩みを与えない」とか「ハードルを越えて」とか、今はまだとてもそんなふうには考えられない状況でしょう。

 だからこそ、被災しなかった人たちが、それこそ日本国民が総力を挙げて、被災者の方々がハードルを越える手助けをしなければならないと思います。

 野球どころでないと思っている人は被災地以外にも多い、被災地復興の目途が立つまでセ・パとも開幕は見合わせるべきではないか、という意見も聞きます。
 が、私は4月12日同時開幕で構わないと思います(もちろん電力事情等いろんな面に配慮しながらですが)。

 プロ野球はじめスポーツ選手、あるいは芸能人の方々も支援の輪を広げてきていますが、その多くは「自分たちが復興の手助けを」なんて大それたことは考えていないでしょう。

 ただ、あるスポーツ選手の方がこんなことを言われていました。
 「せめて試合を観ている間だけでも辛いことは忘れて、笑顔を取り戻してほしい」
 他のスポーツ選手、あるいは芸能人の皆さんも、これと同じような気持ちでおられるのではないでしょうか。

 そして実際に、ほんの短い間であっても笑顔を取り戻すこと、それが被災者の方々にとっては活力を取り戻すための、試練のハードルを越えるための、大切な一歩となるかもしれません。

 「過度の自粛」は日本全体の元気を喪失させてしまいます。それは回り回って、被災地の元気をよけいに失わせてしまうことになるでしょう。それではいけないのです。

 テレビではお笑い番組も少しずつ復帰してきたようです。これも賛否両論あるでしょうが、私は良いことだと思っています。
 てか、芸人の皆さんにはぜひ被災地を回っていただいて、少しの間だけでも皆さんを楽しませてあげてほしいなぁ、と願う次第です。

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こんな時だからこそ

東日本大震災
【募金受付まとめ】東北地方太平洋沖地震 被災地に手助けを!

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 オモテのブログはずっと更新していたんですが、こちらは地震後初めての更新です。

 改めまして、今回の震災で被災された方々にお見舞いを申し上げます。また亡くなられた方々に哀悼の意を表すとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。


 地震発生から1週間が過ぎました。

 日ごとに明らかになる大きな被害。
 未だインフラが整わない被災地。
 せっかく助かったのに、環境の悪い避難所暮らしのため亡くなった方も大勢いると聞きます。

 大阪に住む私たち夫婦は毎日いらいらして報道に接しています。
 わずかな義援金を送ること以外に何もできないのが切ないです。


 3月15日(火)放送のMBS「ちちんぷいぷい」(普段は3時間放送ですが短縮で1時間放送)を見ていたら、ロザンの宇治原君がこんな話をしていました。

 「関西はちゃんと経済活動しないとだめ。
 関西の人は、被災地がああいうことになってるから、
 たとえば外食は控えようとか自粛しがちだが、
 それよりはお金使って、ちゃんと税金も払って。
 後々、必ず被災地に公的資金投入しないといけなくなるから、
 こちらはちゃんと経済活動すべき


 細かい言い回しは全く違いますが、大枠でこのような感じでした。

 なるほどな~、さすがに「カシコ芸人」やな~と、思いました。
 もちろん意味のない買い占めなどは避けないといけませんが、それ以外の買い物はできる範囲でどんどんやるべきですよね。


 確かに私たち夫婦も見た目は普段どおりの生活をしてるんです。
 (夫がまだ失業中なので「倹約生活」ではあるものの)

 でも二人とも心の奥に、「被災地は大変なのに、私たち、こんな暖かい部屋で温かいご飯食べててええんやろか?」という、罪悪感みたいなものが常にあるんですよ。

 特に夫は連日続く地震報道のため、「何か最近気持ちがしんどい。落ち込む」って言ってるし。
 じゃあテレビとか新聞とか見んかったらええやん、と私が言うと、「いや、見なあかん。同じ国の国民として目をそらしたらあかんのや」と。


 そこまで自分を追い込まなくてもいいのに、と思ってたら、実は関西ではそういう人がけっこう多いみたいで、3月18日(金)放送「ちちんぷいぷい」で、精神科医の名越康文さんが視聴者メールに答える形でこんな話をしてました(これも概要ですが)。

 「罪悪感なんか持つ必要はない。
 自分の足元を見ることが大切。
 ふーっとひとつ深呼吸をして。
 みんな日常を楽しんで下さい。
 西日本の人も精神的に落ち込んでる。
 でも、お金を回すためにお金を使おう。
 それが被災しなかった人たちの仕事


 夫もこの話を聞いてたんですが、少しは気持ちが楽になったようでした。


 あと、夫によれば、これは全く別のニュース番組で経済学者の人が言ってたそうです(これまた概要)。

 「被災地は復興に年月がかかる。
 その間、関西が頑張って経済を上向きにしておかないと。
 せっかく被災地が復興しても
 その時に関西の経済がしっかりしてないと……」


 そう、今、頑張らないといけないのは、被災地よりもむしろそれ以外の地方なんですよね。
 首都圏も広義の被災地だと思いますし(計画停電はいつまで続くんでしょうか?)、それを考えるとやっぱり関西が頑張らないと。

 というわけで、関西の皆さん。
 こんな時だからこそ、今までどおり(できれば今まで以上に)張り切って仕事しましょう。お金も使いましょう。
 それが阪神・淡路大震災の時に受けた温かい支援に対する、恩返しにもなるはずです。 

 (もちろん関西だけでなく、被災を免れた地方の皆さん全体で頑張っていきましょう!)

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さよなら尾藤さん

 取り上げるのが少し遅くなりました。

 私の第二の故郷・和歌山の箕島高校の尾藤公(びとうただし)元監督が3月6日、膀胱移行上皮がんのため亡くなりました。

箕島率いて甲子園春夏連覇 尾藤公さん死去…68歳
尾藤さんを悼む声、声…「こういう監督は二度と出てこない」
東尾修氏「今も耳に残る“一緒に甲子園へ行こうや”」

 体調がお悪かったことは以前から存じていましたが、訃報を聞いた時はやはりショックを受けました。

 甲子園の名物監督・尾藤さん。
 この方のファンは地元民だけではありませんでした。
 おそらく全国で大勢の方が尾藤さんの死を悼まれたことと思います。

 尾藤監督時代の箕島高校と言えば、やはり1979年(昭和54年)8月16日の箕島対星稜延長18回の試合が一番思い出に残っています。

 当時、私は中学3年生で和歌山市内に住んでいました。

 で、試合の当日、実は裏番組でアニメ「銀河鉄道999」を放送してまして(この日のタイトルは「嵐が丘のキラ」という話でした)、当時はビデオもないし、私は試合と999、チャンネルを小刻みに替えながら両方見ていました。

 16回の表に星稜に1点勝ち越されて、あー、今度こそもうダメやわと、999に替えてしばらく見てて、でもやっぱり気になって途中で野球に替えたら、何か甲子園がすごい騒ぎになってる。
 そう、森川くんがHRを打ったのです!やった!また同点!追いついた!
 (森川くんのこのHRは、人工芝の縁に足を取られて転倒した星稜の加藤くんの逆ファインプレーによって生み出されたものでした)

 実はその前の12回の攻防でも似たような場面がありました。
 12回表に1点勝ち越された箕島は、その裏、嶋田宗彦くんがHRを打ち、試合を振り出しに戻したのです。
 (ちなみに彼は捕手としてやがて阪神入り。後に弟でピッチャー章弘くんも阪神入りし、兄弟バッテリーが実現しました。宗彦くんは2軍コーチ、章弘くんはスコアラーとして現在も阪神で働いておられます)

 試合は結局18回裏、上野山くんがサヨナラヒットを打ち、箕島の勝利に終わりました。
 このものすごい試合は、今でも夏の甲子園史上最高の試合と呼ばれています。
 (詳しくはWikipedia>箕島対星稜延長18回を)

 尾藤さんと言えば「尾藤スマイル」で有名です。
 私もニコニコ笑ってらっしゃる顔しかほとんど印象がありません。
 もちろん練習中は厳しい人だというのは知っていましたが、勝ってる試合ならともかく、負けてる展開でも何でああニコニコできるんだろう?と子供心に不思議に思ったものでした。

 実は「尾藤スマイル」が生まれるには、こんなエピソードがありました。
 私自身、知ったのは、だいぶ後になってからですが…。

Wikipedia>尾藤公より
>若い頃はスパルタ指導で鍛え上げたが、成績が伸び悩んだ1970年代前半に信任投票により一度監督を退く。その後はボウリング場に勤務し、その接客などで人間的にいろいろ学んだ。再び箕島高校野球部監督に復帰してからは、選手の助言もあって、練習の厳しさは変わらないものの試合中はいつも笑顔で接するようになった。それにより選手達はのびのびとプレーするようになったという。その微笑みは「尾藤スマイル」として高校野球ファンにおなじみとなり、上甲正典など他校の高校野球指導者にも大きな影響を与えた。

毎日新聞3/7付より
>箕島では捕手で4番。近大で腰を痛め中退。3年間の銀行勤務を経て66年、23歳で母校監督に就任した。68年に初の甲子園出場。70年春には島本講平投手(元近鉄)を擁して初の全国制覇を成し遂げた。当時27歳。強引な面から周囲と衝突。部員の信任投票で不信任が1票あり監督を辞めた。ボウリング場で働き「謙虚になれた」。
>74年秋に監督復帰。77年春には再び全国制覇した。大会中、エラーした選手を笑顔で迎えると「監督が笑っていると力が出せる」と聞いた。「選手を許すことも大事」と気づき、鏡の前で笑う練習を行うなど「尾藤スマイル」が生まれた。

 公立校で甲子園春夏連覇したのは箕島だけです。
 今や私立全盛期ですし、もしかしたらこの記録が塗り替えられることはもうないかもしれません。

 てか、記録より何より、私はやっぱり「尾藤スマイル」ですね。
 「尾藤さんって有田みかん(地元の名産)みたいな顔してるよね~。笑うとよけい似てるよね~」と、妹とよく二人で言い合ったものです(^_^;

 最後になりましたが、尾藤公さんのご冥福をお祈りいたします。

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吉岡さんの行方

 私はかつて近鉄バファローズのファンで、中でも吉岡雄二選手の大ファンでした。
 調子に乗ってこんなチラシまで作ったことが……。
 (どこに配ったわけでもないんですが)

 ↓クリックで画像拡大

yositira0314.jpeg

 2008年限りで日本球界を去った吉岡さんは、メキシコのリーグに行きました。
 1年目(2009年)の活躍はネットでちらほらと見ましたが、その後どうされてるのか、定期的にネット検索するなどしてみたものの、行方が全くつかめないままでした。

 ここ数ヶ月間、情報収集を怠ってたんですが、昨夜、久々に吉岡さんが夢に出てきたこともあり一念発起、ネットで情報を探してみたら、……あっさり見つかりました(^^ゞ


リアルライブ>元近鉄戦士・吉岡雄二氏が引退表明!(2010年12月28日 12時01分)

 巨人、近鉄、楽天を渡り歩いた吉岡雄二内野手が現役引退を決意した。
 吉岡は08年オフ、楽天から戦力外通告を受けた後、メキシコ球界に挑戦。「メキシコ球界初の日本人バッター」として、ヌエボラレド・オウルズで活躍した。2010年は現地・野球アカデミーの指導も務めたが、帰国後、家族、関係者とも話し合い、現役引退を正式に決定した。

 ちょうど1年前の今頃、筆者は吉岡に「今後」について質問したことがある。
 「自分自身に納得していれば、(楽天を)クビになったときに(現役を)辞めていたと思うんです。気持ちのなかで何かモヤモヤしているものがあって、次に何かするとき、それが野球以外だったとしても、モヤモヤしているものが残るんじゃないか、と。一軍の試合にも出られない状態が続いていて、そういう気持ちが強くなったんだと思います」
 まるで事前に答えを用意していたかのような淀みのない口調で、そう答えていた。

 2年間のメキシコ生活で、自分自身を納得させる「何か」を得たのだろう。
 メキシコの野球レベルはWBCの上位進出で証明済みだが、その環境は日本の比ではない。吉岡の話によれば、外野席を儲けていない球場も少なくなく、従って、ホームランは「スタンド・イン」ではなく、「球場に外にボールが消えた」ようなイメージだという。「もし、日本なら設計段階で何かしらの対策が施されていたはず」という劣悪な球場もあったそうだ。三塁を守っていて、一塁にスナップスローをしたら、強風で送球がホームベース方向に押し流され、打者走者をセーフにしてしまったこともあった。荒野のような場所にポツンに造られたスタジアムで、『強風地帯』なのである。しかし、吉岡は「みんな同じ条件なのだから」と、決して泣き言は言わなかった。むしろ、野球を続けている喜びに眼を輝かせていた。
 「自分が『外国人選手』という立場になって、言葉の通じないところに来て、チームとの接し方、コミュニケーションが成績を左右することを実感しました。野球だけをやっていればいいというのは、非常にストレスの溜まることで、日本に来る外国人選手もそういう気持ちだったんでしょうね」

 幸い、吉岡のチームには日本球界を経験した外国人選手もいた。彼らが「分からないことがあったら、何でも言ってくれ!」と声を掛けてくれたことが「本当に有り難かった」と言う。
 こうした貴重な経験は大きな財産になったはずだ。また、彼が指導者の道に進んだ場合も同様である。テレビ中継されるメジャーリーグのスタジアムは常に華やかである。しかし、華やかなだけが「外国の野球」ではない。生活や野球環境の違うなかで夢を追うことがどんなに辛いことなのか…。そして、自らに課したノルマを克服したとき、それが人生の大きな糧になる。吉岡は異国で精神的にも大きく成長した。
 「もっと、野球を知りたい。巧くなりたい。まだまだ知らないことがあるんじゃないか」
 2001年、近鉄で経験した優勝は「巨人時代よりも嬉しかった」という。チームに貢献していたからである。近鉄時代を知るバファローズ選手がまた1人バットを置いた。吉岡のこれからの人生にエールを送りたい。(一部敬称略/スポーツライター・美山和也)

wikipediaの吉岡さんの項目も更新済でした

>その後は米球界に挑戦するため2009年2月に渡米するも契約がまとまらず、4月にメキシコ入り。メキシカンリーグ数球団のテストを受け、ヌエボラレド・オウルズ(テコロテ・ヌエボラレド)に入団[1]。同リーグで日本人野手の契約は初めて。メキシカンリーグでは打率.280、5本塁打37打点の成績を残した。2009年限りでヌエボラレドを退団。2010年はメキシコ国内の野球アカデミーで指導を行っていたが12月28日に現役引退を表明した[2]。

2011年1月、四国アイランドリーグplus・愛媛マンダリンパイレーツの打撃コーチに就任した。


 帰国されてたんですね。
 新しい職場も決まったと。しかも野球関係!
 良かったね、吉岡さん!(T^T)

 さっそく、愛媛マンダリンパイレーツの球団事務所宛てに応援レターを送ろうと思います!(^^ゞ


※拙ブログ関連エントリー
09/1/6付:今年も憧れの人から年賀状。でも……
08/1/3付:憧れの人&親からの年賀状
07/10/9付:あの人のブログ発見
07/7/4付:吉岡一軍昇格とオールスター
05/6/9付:祝・W杯出場決定!その陰で楽天は……

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