大阪市立美術館で開催中の聖徳太子展に行ってきました。
正確に言うと
「叡福寺の太子絵伝 修復完成記念 特別展 聖徳太子ゆかりの名宝」。
目玉は聖徳太子絵伝。太子の伝記を絵画化したものです。
開催概要より
>なかでも叡福寺の「聖徳太子絵伝」7幅は、南北朝~室町時代に制作された色鮮やかな大画面で、太子の生涯にわたる重要な出来事を描いた名品です。本年この太子絵伝の本格的な修復が完成し、当時の鮮明な色彩が約500年ぶりに蘇りました。
叡福寺(大阪)所蔵の絵伝の他に、斑鳩寺(兵庫)、法隆寺(奈良)、四天王寺(大阪)、大聖勝軍寺(大阪)、談山神社(奈良)、油日神社(滋賀)などが所蔵している絵伝も展示されています。
1枚あるいは数枚の絵の中に、聖徳太子の生涯が盛り込まれているのですが(
こちらの第1章の画像参照)、上から年代順に描かれているとかそういう描き方ではなく、バラバラに描かれているので、絵伝の横につけてくれてある説明と照らし合わせながら見ていかないと、何のこっちゃわからんという(T^T)
各絵伝を見比べてみると、いろいろと違いがあって面白かったです。
画風もそうですが、盛り込む出来事にもけっこう違いがあるんですよね。太子の生涯でどの事件を重要な出来事として絵に盛り込むのか、というのが。
たとえば太子の誕生、薨去というのは絶対に入りますし、物部氏との合戦、崇峻天皇の暗殺、推古天皇の摂政となる、このあたりも絶対に外せない出来事ですよね。
亡くなった後の出来事もけっこう入ってました。特に薨去22年後の上宮王家滅亡と昇天はほとんどの絵伝に入ってたかな?
が、現代の私たちがよく知る出来事(というよりは伝説だとか信仰の類だと思いますが)である「10人の話をいっぺんに聞いた」というのはたった1つの絵伝にしか登場せず、しかも人数は「8人」。
これが描かれた時代(いつだったか忘れましたが、たぶん室町時代とかそのあたり)において、もうすでに「8人」は誇張された数字だったと思いますが、現代までにさらに誇張されて「10人」にまで増えたんだろうなー、なんて想像してみたりする(^_^;
あと、面白かったのは「瓦を(念力で)四天王寺まで飛ばした」という出来事。これも1つの絵伝にしか描かれてませんでした。
実は私は聖徳太子の生涯のうち重要と思われる出来事に関してはある程度、把握していたつもりだったんです。
が、全く知らない出来事がいくつも出てきてちょっとショックを受けました。
しかもそれらは、それぞれの絵伝に必ずと言っていいほど描かれているのです。
その出来事というのは、「犬と鹿に前世の宿業を見る」「淡路に霊木が漂着」「黒駒(馬)が太子薨去後、殉死」……(他にもあったけど忘れてしまった。メモっとけばよかった)。
特に気になったのは「犬と鹿」です。犬が鹿に噛みついてる光景を太子が見ている、という絵です。これが何で「前世」につながるのか?
もう気になって気になって、帰宅後すぐにネットで調べました。
そしたらこういうことでした。
「奈良観光」さんのサイト>斑鳩(その3)吉田寺>鹿塚(しかづか)
>「吉田寺」からまた国道25号線へ出て西へ向い、バス停「斑鳩交番前」を北へ入り、旧道を左に折れて西へ向い、アーケードをくぐって龍田三丁目3と4の間を右に入って北へ行き、お寺の様な北六番町自治会集会所の四つ角を左に曲がって西へ少し下ると、道の左(南)側に「鹿塚」があります。その昔、聖徳太子が多くの家臣とこの辺りを通った時、家臣の飼い犬が鹿と喧嘩をして、犬が鹿の足に噛み付き、それを見た太子が鹿の手当てをして逃がしましたが、数日後、また犬が鹿を噛み殺したので、太子がこの事を深くお考えになり、これは前世の宿業によるもので、恨みの恐ろしさを悟り、それを忘れない様に鹿塚を造りました。
なるほどね~。
聖徳太子の世界はまだまだ奥が深そうです。さらにもっと知りたくなりました。
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